DERSU UZALA DIRECTED BY
 デルス ウザーラ      AKIRA KUROSAWA
 
    - Captain !  me smell smoke.  Ussuri people cooking fish.
     ( カピタン! ワシ、煙ノ匂イ 見ツケタ。 ウスリ、魚 焼イテル )












 タイトルより監督の名前のほうが大きくなって
しまった。さすがクロサワである。
 舞台は20世紀がはじまったばかりの極東、沿海
州。自然がハンパなく厳しいところだ。そこの探
査の命を受けたロシアの学者アルセニエフは、猟
師デルスと出会い深い友情を育んでゆく。
 猛吹雪のなかで立ち往生した調査隊が、近くの
民家で休息するシーン。
 この家族はウスリ族。といってもよくわからな
いが、自然の恵みも災いもダイレクトに受け止め
て生きている人たちである。
 腹ペコでいまにも死にそうな調査隊員は夢中で
魚のフライに喰らいつく。それをクロサワはずっ
とロングで追いつづける。会話なし。音楽なし。
パチパチと火が弾ける音、魚を焼くジュージュー
という音、ムシャムシャとそれを貪る音がするだ
け。ほとんどカットはない。
 これはウマそうだ。なんの魚だろう。白身の川
魚みたいだ。油は木の実から採ったものだろう。
味付けは塩だけに違いない。土地のハーブかなん
かで下ごしらえされてるかも。わたしも経験があ
るが、こういうのはウマいよ。
 実話である。原作はアルセニエフ著「デルス 
ウザーラ」。若いとき、どっかの音大がある駅の
古本屋で文庫を買ったが、定価より高かった。ち
ょうどジャック・ロンドンあたりも読んでいた頃
で、大自然のなかでしたたかに生きる野人たちに
非常に胸を打たれたのを覚えている。
 クロサワには悪いが、感動は原作に遠く及ばな
い。(文芸坐でこの映画を観たときは寝てしまっ
た)原作のラストは、悲しみを通り越してしまう
ほどに残酷である。

                  10・6・6
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Meal in the Movies


TAXI DRIVER ROBERTDENIRO  JODIE FOSTER
                         
   - Can I see you again?
   (また、会えるかい?)
   - All right, have a breakfast tomorrow
    いいわ、あした朝ゴハン食べようよ)








        
 デ・ニーロである。作品については説明する
までもあるまい。
 ヴェトナムとの戦争が終結したあたりの話で、
ニューヨークがいちばん汚ッタなかったのはこ
の頃ではあるまいか。
 喰い物もマズそうだ。ジョディー・フォスタ
ーが食べてるトーストなんて完全に冷めてて、
噛みちぎるのに反動で顔がのけ反るほど硬くな
ってる。胃が痛くなりそうだ。
 ベーコンエッグもチーズバーガーもフルーツ
サラダのディッシュも、食べてる本人たちの顔
を見れば美味くないことがわかる。デ・ニーロ
なんて注文しておきながら食べる気がない。
 そのくせ部屋ではわけのわからないジャンキ
ーな喰い物を頬張る。ウィスキーをかけたパン
は、ちょっと魅力的におもえたので若い頃に試
してみた。二度やった記憶はないから、きっと
失望したんだろう。
 ただ、パイをフォークの背にのせて食べるデ
・ニーロはカッコイイ。西洋人なんだから当た
り前といえばそのとおりだが、それにしても、
その右手は流れるように自然で実にエレガント
だ。ちょっとできない。
 これが演技で、このワンシーンだけで主人公
の背景を語らせようとしているなら、やっぱり
スゴイ。けど、穿ちすぎかな。
 映画は、都市が抱える矛盾とそこで生きる者
の苦悶を平凡なロケーションから言葉少なに引
っぱり描いていて見事。
 スクリーンでは観たことがない。月曜ロード
ショーで荻昌弘が映画のなかの映画≠ニ解説
していたのを覚えている。
 
                10.6.13
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I GIRASOLI        SOPHIA LOREN
     ひ ま わ り      MARCELLO MASTROIANNI
















 観るたびに涙が出る。タイトルバックの風に揺
れるひまわり畑にヘンリー・マンシーニの哀切極
まりないメロディが流れるだけで、もう目の奥が
熱くなってしまう。
 戦争が愛し合う男と女を引き裂く物語は映画の
定番である。観る者の涙を誘うのにこれ以上の題
材はない。
 しかし「ひまわり」が他のこの手の作品と比べ
てはるかに強烈な感動を観客の心に引き起こすの
に成功している要因は、なんといっても俳優と音
楽、特に音楽である。
 クライマックスとなる再会、そしてラストの別
れの場面はどちらも駅。メロドラマの王道ともい
える平凡なシチュエーションだがしかし、圧巻。
何分間であろうか、両シーンとも見つめ合う二人
の役者にセリフはない。音楽のみ。
 最後の別れ。車中の人となった男。プラットホ
ームに佇む女。お互いがこらえ切れない気持ちが
あるのに言葉にして外にださない。いや、だせな
いでいる。男はまだ望みが捨てられない。女も叶
うことならそうしたい。しかし、無情にも汽車の
扉は閉められ、ゆっくりと動きはじめる。
 そんな二人の胸の内の悲哀を代弁するかのよう
に、マンシーニの音楽は切々とスクリーンを流れ
やがて汽車は去ってゆく。
 もう、このあたりは涙で顔がクシャクシャで、
戦争はナゼおきるんだバカヤローッ!≠ニ叫び
たくなるくらいのものだ。
 それにしても昔の映画は時間をたっぷりかけて
作っていて丁寧だ。そして重要な場面はセリフが
少ない。言葉で説明しないぶん、役者の力量が問
われる。また、観客の感受性も問われる。
 こういう作品を観ると、映画はイイ役者とロケ
ーション、イイ音楽があれば言葉なんて要らない
んじゃないかとさえ思わせられる。
 で、喰い物の話しであるが、深い感動のまえに
その気は失せてしまった。写真だけでカンベンし
てほしい。
 
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                                                       10・6・20
             
 PLEIN SOLEIL      Alain Delon
  
   − 魚料理にナイフは使うな。 それに持ち方もまちがってる −


写真見出し








 一世を風靡した二枚目スター、アランドロン。
 だから「太陽がいっぱい」は甘っちょろいラブ
 ロマンス映画だと長いこと勘違いしていた。
  前半のヨットでの昼食シーン。皿の中で散ら
 ばってるのは魚のソテー。ホッケみたいだけど
 ナンだろう?焦げ茶色がつくまでようく焼かれ
 ている。バラバラになった身からは上にかけた
 レモンの酸っぱさが伝わってくるようだ。
  チンピラのアランドロンがナイフとフォーク
 を使ってそれを食べながら一人でしゃべってる
 のを、上流階級の放蕩息子のほうは手でちぎっ
 ては口へ入れ黙々と聞いている。そこで上のセ
 リフとなる。
  へぇ〜、そうなんだ。躾の厳しい日本の家庭
 でこんな喰い方をしたら間違いなく引っぱたか
 れるだろうが、フランス上流階級のマナーでは、
 どうもそういうことらしい。こんど機会があれ
 ば試してみよう、と、社会人になりたてのわた
 しは映画をみておもったのだが、いまだ正式な
 フランス料理は食べたことがない。カナシイこ
 とである。
  出自の卑しい人間がその境遇から這い上がろ
 うとする浅ましさ、醜さを演じてアラン・ドロ
 ンは見事。ほとんど地といっていい。そして超
 美貌男優を得たルネ・クレマンは、その上層と
 下層の対比を冷酷ともいえる眼差しでフィルム
 に写しとっていく。
  なかでも、二度の殺人を犯すアラン・ドロン
 が、二度とも殺人直後に食物を食べるシーンは
 残酷極まりない。人を殺したばかりで食欲なん
 かわかないであろうに、それでも食べずにいら
 れない。まさに貧しい人間のせつなさ、やるせ
 なさの極致である。
  アラン・ドロンはパリ出身だとばかりおもっ
 ていたのだが、つい最近読んだ本のなかで、ヨ
 ーロッパ一番の美男産出国は、かのアラン・ド
 ロンを生んだユーゴスラビアだ、というギリシ
 ャ女性のセリフに出くわした。ユーゴがヨーロ
 ッパかどうかは別にして、それならあの美貌の
 裏に隠された陰りのようなものも理解できるよ
 うな気がする(紙幅がないので理由は書かない)
 −あぁ、イイ気持ちだ…太陽がいっぱいだぁ−
  いろいろ苦労したんだろうね、きっと。

                 10・11・18
 
説明


                     

映画を語るのは楽しいものである
俳優や演出、ストーリーはもちろんだが
わたしは、そこに登場する食べ物
が気になってしかたがない。
実にウマそうである。
というわけで、
コンテンツは「Movie」になって
るが、そういうページなので
クダラナイと思う人は見なくてよろしい。

  ROADTOPERDITION    TOM HANKS
                                           PAUL NEWMAN


   - Might not be another diner for a while, so you should eat.
    (もうこの先ずっと喰い物屋はないぞ。食べておけ)


   
  組織に妻子を殺され復讐を誓うトム・ハンクス
 が、難を逃れた長男と逃避行をする途中で安食堂
 を見つけるシーン。
  時は20世紀初頭のアメリカ、夜の田舎道。そこ
 だけポッと灯りがついて、電車の一車両を改造し
 たダイナーが現れる。いかにも古き良きアメリカ
 ンな定食を喰わせそうだ。
  果たして、ハンクスが食べているのは、肉のチ
 ョップみたいだ。ソースはかかっていない。付け
 合わせはグリーンピースと、映りが悪いが白いの
 はライスである。意外だ。コートとハットを脱が
 ないままで、いかにもワケありという姿がカッコ
 イイ。こんどやってみよう。
  カウンターで食べているハゲ頭のシェリフの喰
 いかたがイイ。ナイフとフォークと皿の触れあう
 音が食欲をそそる。どうにも西洋料理は、この金
 属と陶器が奏でる音がイイな。
  ポール・ニューマンがでてるので観た映画。ト
 ム・ハンクスはあまり好きな俳優ではなかったが
 父親としての地が演技に反映されてるみたいでな
 かなか良かった。
  全編にアイリッシュな底音が滲み出る、映像の
 美しい映画。冒頭のパーティーのシーンで二人が
 奏でるピアノは、あまりにも美しい。

  
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                                10・5・20

round midnihgt     DEXTER GORDON
                    FRANCOIS CLUZET

  
        - Enjoy!
         (ウマいぞ!)
        - This meat is huge!
         (大きなお肉!)






      



                                        

  
   
   
   Its funny…
  
   how the world is inside of nothing.




     
 なんともウラヤマシイ人たちである。こん
なステーキを喰われては戦争に勝てるはずが
ない、とおもわせられるシーン。
 所はパリ。ジャズクラブ、ブルーノートへ
ニューヨークから出稼ぎにきているデイルは
テナー・サックスの名手だが、手に負えない
飲んだくれ。
 そんなデイルを酒から救おうと、彼を崇拝
するデザイナー、フランシ―ヌは娘とともに
一緒に暮らし始める。
 ある日、彼らに感謝するためにデイルは食
事を振る舞うのだが、それがこの特大ステー
キ。いやー、スゴイ。厚さは5センチもあろ
うか、皿からはみ出している。添え物も茹で
たジャガイモが皮つきのままで丸まる一個。
一流のジャズマンらしからぬ、カウボーイか
ギャングが作りそうな料理だ。 Enjoy! と
自信満々だが、どんな味なんだろう。
 ところが、監督はタベルニエという名にも
かかわらず食べるシーンはない。非常に残念
である。美食の国フランスで、このなんの芸
もないアメリカ料理をどう食べるのか観てみ
たかった。
 主演のデクスター・ゴードンは、本物の一
流テナー・サックス奏者だそうで、演奏シー
ンが文句なくカッコイイのは当然としても、
彼のセリフが抜群にスバラシイのには驚く。
 しゃがれ声とはこういう声だ、といいたく
なるようなかすれてつぶれた声で、ゆっくり
と、無邪気だが哲学的な言葉が零れてくる。
 それに、なんといっても笑顔がチャ―ミン
グだ。計算されたものじゃない。後頭部の毛
の生え方も図体がデカイだけにカワイくって
なんかズルイ気がしないでもない。
 彼は、この一本だけのための名優である。

               10・5・28

 PAPILLON     STEVE MCQUEEN
                   DUSTIN HOFFMAN
   
   - Oh, Jesus... No, you’ll eat everything they give you.
      ( ひでぇもんだ… いや、 なんだって喰ってやるぞ ) 




















 往年の超大作。囚人の喰い物なのでとても
mealと呼べる代物ではない。
 ブリキの器にレードル一杯のスープと半分
のコッペパンがせいぜいで、それも所構わぬ
座り喰い。ちゃんと皿の出ているテーブルに
着席するのはラスト近くでザリガニを食べる
ところだけ。幸福が舌の上で輝くような快楽
とは無縁である。
 しかし、当時中学生だったわたしには、こ
れがたまらなくウマそうに見えたのだ。両親
の名誉のために言うと、三度の食事に困るよ
うなことは決してなかったのだが、ウマそう
でウマそうでしょうがなかった。
 つまり、カッコよかった。豪雨のなかで雨
が滴り落ちるのもかまわずブリキの器をスプ
ーンでしゃくるスティーブ・マックィーンが
カッコよくて、それを真似るべく味噌汁を平
皿によそってお匙で飲んでたりしていた。
 独房に入れられたマックィーンは、蛾やム
カデやゴキブリまで食べる。そして多感な男
子は、それさえもウマそうにおもってしまう
のだった(繰り返すが、子ども時代のわたし
の家の食生活は世間並みである)。
 映画のなかでは ration(食糧)という単
語がでてくる。冷たい響きだ。希望を失った
人間に配られる食べ物は ration である。明日
ではなく、今を生かすためだけに与えられる
エサである。
 しかし主人公には希望がある。いや、希望
しかない。だからクソ不味いスープも、ゴキ
ブリやムカデさえ、ration 以上の何かになり
得るのだ。
 それにしてもマックィーンは逃げてばかり
いる。「パピヨン」の他にも「ゲッタウェイ」
「大脱走」と、逃走シーンだけで映画が一本
できそうだ。だからというわけでもないだろ
うが、彼の真似をして育った中学生は逃げて
ばかりの大人になってしまった。
 カナシイことである。

              10・6・5
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