IT STARTED IN NAPLES              CLARK GABLE
    ナ ポ リ 湾         SOPHIA LOREN



  ― You have to approach a hamburger with assurance
    ( ハンバーガーは、しっかり持って食べるんだ )








    
  1950年代のラブコメディ。タイトルと俳優名が
 語るようにイタリア、アメリカを代表する食い物
 が登場する。まずはスパゲティ。
  当然、我が国で呼ぶところのナポリタンなどで
 はなく、オリーブ油で炒めたトマトに茹であがっ
 た麺を和えるだけの「Spaghetti」。前世はイタ
 リア人だったんじゃないかとおもうくらいにわた
 しはコレが好きなのだが、ずーっと心を悩ませて
 いたのがその食べ方である。フォークには向こう
 向きに巻いたらいいのか手前向きがいいのか、立
 てたほうがいいのか寝かせるべきなのか、その他
 諸々。
  左のナポリおやじを見ていただきたい。さすが
 というか当りまえというか、堂にいっている。口
 に入れるときの右手小指の曲がり具合など、日本
 中の本を漁っても書いてないだろう。この食べ方
 が彼の国一般家庭の正統とおもわれるが、しかし
 これはやってみると、超〜〜〜難しい!
  高く持ち上げた麺を、ナンと、空中で巻くので
 ある。「ナポリ湾」は、大昔に確か東京12チャン
 ネルで観たのだが、以来、周りに誰もいないのを
 見計らっては密かに、この麺の空中巻きつけを試
 しつづけてきた。いまだにできないところをみる
 と前世はイタリア人ではないらしい。
  次にハンバーガー。国を出奔した今は亡き兄の
 財産整理のためフィラデルフィアからやってきた
 クラーク・ゲーブルが、兄が遺していった一粒種
 にアメリカ流を指南する場面。
  例によってデカイ。子どもの顔ほどもある。中
 に挟むものも多くて、肉のほかにレディッシュピ
 クルス、玉ねぎ、レタス、チーズ、トマト。玉ね
 ぎは辛そうだ。うっすらと紫がかっていて厚さも
 5ミリはある。こんなもの食べたらまちがいなく
 胸やけするだろう。その他、スライスしたポテト
 とおもわれるもののフライとよくわからない野菜
 の球根のようなもの。
  マックしか知らない身としては、こんなに挟ん
 でどうやって喰うんだと困ってしまうところであ
 るが、その答えが上のセリフ。困ってるこちらが
 バカにおもえるほどの簡潔さだ。さらに「誰がボ
 スなのかわからせてやれ」とつづく。うーむ、や
 はりそれが本音か、WASPの。
  クラーク・ゲーブルがでていると、スクリーン、
 ではなく銀幕≠ニ呼びたくなる。映画俳優、で
 はなくスター=Bゴチャゴチャした理屈はなし。
 ゴージャスとロマンス満載の白人の世界。見終わ
 ったら、淀川さんか小森のおバちゃまが解説にで
 てきそうである。

                 11・1・25
 




Movie Vol.2

− Meal with occasional kiss

 ROMEO IS BLEEDING            GARY OLDMAN



   − What is this ?
     ( 何だ? これは? )

   − Chicken francoise, Jack.
     ( フランス風チキン料理よ、 ジャック )

















    
  ニューヨーク市警のジャックは年収5万ドルの
 サージャント(巡査部長)だが、出世の見込みも
 ないスノッブで女たらし。仕事そっちのけの“夢”
 をもっていて、当然、金の誘惑には弱い。
  まだ明るいうちに “ I’m home ! ”と軽快に帰宅
 して美人の女房がつくる夕食を食べたあとカクテ
 ル片手に裏庭でダンスなどする。サージャントと
 いうよりセールスマンといったほうが似つかわし
 い小市民ぶりである。その女房の支度する夕食も
 ミーハー丸出し。大衆向けの雑誌を読んでつくっ
 たわけのわからない外国料理に白ワイン、それに
 高級感をだそうとした備品がテーブルに並ぶ。
  白ワインは多分近所の酒屋で買ってきた安い辛
 口であろう。だから殺菌されてて百年たっても澱
 なんか溜まるはずないのにワインを寝かせる籠が
 置いてある。それに陽があるんだからキャンドル
 を灯す必要はないし、第一、そんな長い時間をか
 けて食べる代物ではない。アッパー・ミドルに憧
 れる典型的なロウア―の食卓である。
  気持ちはわかるのでいちゃもんをつける気はな
 いが、頭隠して尻隠さずなのが、ジャックの食べ
 方。ナイフで肉を切るときの皿を擦る音には鼓膜
 が浮いてしまった。黒板に爪を立てたときのあん
 な感じ。アッパーのディナーでこんな食べ方をし
 たら部屋を放り出されるだろう。
  行儀が悪いのは彼だけではない。組織を裏切っ
 て司法取引に応じたマフィアの大物がFBIに匿わ
 れてホテルでスパゲティを食べるシーン。およそ
 こんな下品な喰い方はみたことがない。筆舌に尽
 くしがたいとはこのことで、これをアッパーでや
 ったらその場で撃ち殺されるであろう。
  それにしても、アメリカのスパゲティはマズそ
 うだ。メンが茹ですぎで完全にくたばっている。
 こんなにクタクタなんじゃ、品のないギャングで
 なくともジュルジュル音をたててしまうかもしれ
 ない。それにグリーンピースが入ってる。う〜ん
 入れるかなぁ…スパゲティにグリーンピース…。
  「蜘蛛女」という邦題は意味深なのかアホなの
 かよくわからないが、アメリカ特有の中流層の危
 うさをえぐった作品である。「自由」と「平等」
 の国に厳然として存在する階級。それは爵位でも
 世襲の地位でもないぶん常に流動的だ。
  ロウア―にとって努力と運さえあれば手に入れ
 られるように見える“夢”は、時に人を破廉恥行為
 や犯罪へと走らせる。ホントのところ、この映画
 のメンタリティは、アメリカに生まれ育った人間
 じゃないとわからないと思う。
  ゲイリー・オールドマンの独り舞台。ほぼ全カ
 ットに登場する。当時、寝ようとおもって文芸坐
 二階の映写機の下の席で観たのだが、オールドマ
 ンは寝かせてくれなかった。その稀代の才能が演
 じる、“夢“と“欲”を履き違えた情けない男の成れ
 の果ては、いま観てもそのまま自分の姿と重なっ
 てしまった。カナシイことである。

                   11・4・3




というわけで、ラブシーンもフューチャーする。
クダラナイという人がいてもよい。

 SEVEN YEARS IN TIBET   BRAD PITT
                      DAVID THEWLIS

   − Butter tea.... it was never my cup of tea.
    ( バター茶は … いまも苦手だ )

   − No,no,no. A fresh cup of tea is set untouched waiting you return.
    ( おっと、二杯目は飲まないで。 それは旅人が戻るまでそのまま置いておくんだ



                               





         











    戦争に翻弄されチベットに漂泊したオーストリ
  ア人登山家の愛と悲しみ、そして友情の物語。そ
  んな手垢のついた文句がスラスラでてくるのは、
  実話にもとづいた一大叙事詩ならではである。
   ヒマラヤ登頂中にイギリス軍の捕虜となってし
  まったハインリッヒとペーター。ようやく脱走し
  たものの二人は長きにわたって死地を彷徨う。氷
  の世界で飢えに苦しむ彼らが、乗っていた馬を殺
  して食べるシーン。
   真っ赤な馬肉は、これ以上ないほどにフレッシ
  ュ、てかてかに光っている。サシはまったくない
  がどこの部位だろう。必死の二人には悪いが、馬、
  牛、鯨のサシの入ってない刺身を極上の肉料理と
  考えるわたしとしてはなんともうらやましいかぎ
  りである。
   その血の滴るやつをブラピはクッチャ、クッチ
  ャと噛むのだが、ブラピの呆けた表情が秀逸。そ
  れまでのヤンチャな顔は消え失せ、まるで別人で
  ある。というより役者が演技してるようにみえな
  い。短いシーンだが、ブラピはこんな芝居もでき
  るのか、と感心させられた。
   そしてこの映画、ナンといってもデヴィッド・
  シューリスがイイ。舌が長いのか短いのかそれと
  も下顎の造りがそうさせているのか、セリフを言
  うのでも物を食べるのでもピチャ、ピチャと締ま
  り
がない。締まりがないのだが、それがかえって
  得も言われぬ味を生んでいる。やや鼻にかかった
  声もイイ。「 Good ! 」と勝ち誇ったようにスプ
  ーンでしゃくる缶詰は実にウマそうだ。
   高原地帯が舞台なので食事は遊牧風。若い頃モ
  ンゴルへ旅したことがあって、塩茹でした羊肉が
  大皿に盛られているのは懐かしかった。やはりバ
  ター茶はさんざん飲まされたが、ブラピ同様、あ
  まり美味いものではなかったと記憶している。
   切ない物語だ。ハッピーエンドでもなく、そう
  でなくもない(ブラピは何故か、この手の映画に
  出ることが多い)。ストンと腑に落ちることのな
  い感動が胸の内に響きわたりいつまでも冷めない。
   その通底音となっているのはオルゴール。奏で
  るメロディは、ドビュッシー「月の光」。夢見る
  季節の象徴として描かれるその音色の、だから、
  なんと哀切なことか。どんなピアニストでもかな
  わない。ヨーヨーマのソロもスクリーンを流れて
  いるのだが、オルゴールの「月の光」のほうが断
  然心にのこる。
   時として、なにげないささやかな音楽が、どん
  な名奏よりも感動的なことがある。
                   10・12・31
                    





 COOL HAND LUKE      PAUL NEWMAN



   − I can eat 50 eggs. Boiled for 15 minutes, eat the whole thing in an hour.
    ( 玉子を50個食えるぞ。 15分茹でたのを全部、1時間以内に喰ってやる )



















   I tried, I mean to…live always free
 
  and above board, but I don’t know,

  I just can’t seem to find any elbow

  room.



   やってはみたんだ … いつでも自由で正々

   堂々と生きようとしたさ。 だけど … どうも

   うまくいかなくてなぁ。









  男による、男のための、男の映画。それも、死
 ぬまで自分≠貫き通す男、とくれば、主演は
 もちろん、ポール・ニューマンである。
  戦争で多くの武勲をたてたルーク。だが、生来
 の反骨精神からか、周囲の人間とはどうにもそり
 が合わない。除隊してもからもそんな自分をもて
 あまし、ある日、酔ってパーキングメーターを壊
 して刑務所行きとなる。
  刑務所といっても鉄格子はないし、職員の服装
 もバラバラ。囚人は全員一緒に寝起きし、毎日早
 朝から所外へ出て草刈りなどする。「DIVISION
  Of CORRECTIONS」と看板がでてるから、一種
 の矯正所なんだろう。
  例によって、囚人の食い物はブタのエサとかわ
 らず量も少ない。昼は豆とパン半切れがブリキの
 皿に盛られるだけ。パンはフツウの食パンにみえ
 る。シロップをちょっとかけてるのがアメリカら
 しい。豆は苦手なんだが、ガツガツとスプーンを
 動かしてる男達を観てると、つい食べたくなる。
  晩飯のライスはウマそうだ。ピラフであろうか。
 具は一切なくて、インディカ米を、おそらく塩と
 チキンブイヨンかなにかで炊き込んだだけのもの
 だろうが、サラサラと上手に炊けてる。ならず者
 の食卓らしく、レードルやブリキの皿やスプーン
 から無造作に零れ落ちるのがイイ。そして、ルー
 クの茹で玉子50個喰いである。
  売り言葉に買い言葉でバカ喰いするのは、洋の
 東西を問はないようで、落語にも「饅頭こわい」
 「そば清」なんてネタがある。食文化の違いであ
 ろうか、当時中学生だった私は、玉子の大食いを
 観てもナンとも思わなかったのに、小円遊の「蛇
 含草」には猛烈に感激した。こちらは餅の大食い
 なんだが、小円遊の芸というのが、まぁ実に見事
 で、もう、ホンっとに、ウマそうに餅を喰うんだ
 これが。さっそく正月に真似をしてみたが、たい
 して食べられずガッカリした。
  COOL HAND は、訳せばカッコ良く決める
 とでもなろうか。ニューマンは「ハスラー」でも
 FAST EDDIE(疾風のエディ)≠ネんて呼ばれ
 ていたが、大体こういう通り名が付くような輩は
 反社会的である。やたら体制や権力に反抗しては
 自分≠主張する。
  主張、といっても、ケンカが強いわけでも深い
 考えがあるわけでもないルークの場合、せいぜい
 が脱走を繰り返したり玉子を大食いしてみせるく
 らいのものだ。体制側にしてみればイタくも痒く
 もない、ただの困ったチャン、目に余れば排除す
 るだけのはなしである。
  生きてゆくということは、ある意味自分≠
 次々と欺いていく過程のことである。それは辛い
 ことではあっても、社会と妥協することなしに生
 きてゆくことはできない( 最新の研究によれば、
 人間の脳は食料供給が脅かされるのと同じくらい
 社会から阻害されることを生存の脅威として認識
 するそうだ)。ここにルークの悲劇がある。まっ
 たく救われない彼の魂は、自然、神へと向かうこ
 とになるが、ラストの教会での神との対話のシー
 ンは、身に覚えのある人も多いのではないか。
  昔の映画には珍しく「暴力脱獄」とはヒドい邦
 題である。そのせいか、あるいは、女子供に受け
 る作品ではなかったせいか、玉子の大食い以外は
 全く覚えていなかった。いま、ルークの気持ちは
 痛いほどよく理解できる。わたしだって何度、神
 に文句を言ったかしれない。
 
                  11・10・21





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● 特別編